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岡イン筆者は、神慈秀明会のころからすると、明主様という方を知ってから20年以上たつわけですが、実は夢の中に明主様が現れたことはいままで一度もありませんでした。
また、熱海や箱根、京都などの聖地の様子が夢に現れたこともありません。
たまに、所属していた秀明の支部の様子が夢に出ることがあったくらいです。
ところが先日、初めて、しかもかなりはっきりと、夢の中で明主様にお会いしましたので、その内容を書いてみたいと思います。
ただ、その内容はちょっと変わっていて、おそらく岡イン筆者ならではの、独特なものだと思います。
【“こんな夢を見た”の続きを読む】
岡イントップページの「資料」を追加しました。
* 大経綸10号を追加しました。
* 2009年度の教主講話を追加しました。
特に重要と思うのが、2009/7/5に行われた、
主之光教団 第2回海外信徒交流報告大会 に4代教主が来られ、
講話をされたのですが、この場には、
「いづのめ教団」
「東方之光」
「主之光教団」
の3団体の信徒が一つの席に招かれ、その前で講話をされたということです。
その講話を掲載しています。
http://moifth.web.fc2.com/daikeirin/4sama/20090705_suno.htmlこれは、三派の信徒が一堂に会する場に、教主巡教が行われ、三派の信徒の前で
講話をされたという、初めての機会であったと思います。
こういった御巡教が、今後もますます行われますことを期待しています。
政権が自民党から民主党に変わり、新しい内閣の布陣が決まりました。
こうなってくると次の展開で予想されるのは、マスコミによるいつもおなじみの個人の醜聞暴露、個人叩きといった様相で、そろそろ始まっているように思います。
そういうものが始まった時、有権者はどう思うのでしょうか?やはり、「やっぱり信頼おけない人物を選んでしまって失敗だった」とおもうのか、「その人を選んだんじゃなくて、民主党を選んだ、というか、自民党を選ばなかったんだから、その人の過去のちょっとした悪評なんかは大した意味がない」と思うのでしょうか。
マスコミによる個人叩きが始まった後の有権者の意識がどっちを向くのか、私はそこに興味があります。
というのは、次のようなみ教えがあります。
昭和二十八年三月二十六日
日本で一番困るのは個人個人になっていることです。
人物本位で投票しろというが、これが一番いけないのです。
第一、人物本位にしろと言っても、どの人が 一番偉い人かということは分かりません。
道路で自動車の中から“岡田茂吉、岡田茂吉”というように言うが、
そういうように数多く広告する人が偉いかという と、むしろそういうことをするのは偉くないでしょう。
そうすると誰が立派な人物かということは分かりません。また分かるはずがありません。
そこでアメリカのように政党第一主義で、政党に投票するとなると、“わが党はこういう政見である”ということを言いますから、そこでその党の誰に投票しても良いのです。
日本のように人物本位というと、国民に対する罪です。
そうかといって、政見発表といっても、この忙しいのに聞きに行くのはたいへんです。
それなら政見発表を文章に書いて出せば良いのです。私は前にこのことを書いたことがあります。
ですから誰がどんな意見を持っているか、誰が偉いかということは見当もつかな いのです。
そこで名前をたくさん呼ぶというやり方になるのです。またそういうのが効果があるのです。
名前をたくさん言った人は票数がたくさんはいって、たいてい当選するのです。しかしこんな馬鹿馬鹿しいことはありません。
そういうことも、大いに政治の革命をしなければならないところです。
いままでの自民党政治は、「人物本位」だったと思います。だからマスコミも、「人物の醜聞」を書くことで興味を引き、部数を伸ばせたのです。今回、国民が民主党を選んだ(というか自民党を選ばなかった)のは、「政党本位」の選択がおこなわれたということになります。
そして、マスコミによるいつものワンパターン、「個人攻撃」でも、国民がたいして動揺しなくなったのなら、いよいよ政治の在り方が、み教えで言うところの「人物本位」から「政党本位」に代わりつつある、その証拠であるといえるのではないでしょうか。
週刊ダイヤモンド(平成二十一年九月十二日発行)という雑誌は、その表紙に「新宗教」という文字がでかでかと書かれています。
このスピリチュアル全盛のご時世に、いまさら新宗教の特集とは殊勝な、ということで、早速購入しました。このブログでは、この雑誌に、「世界救世教」がどのように取り上げられているかについて書きたいと思います。
【“週刊ダイヤモンド 「新宗教」”の続きを読む】
先日、「
宗教と現代がわかる本〈2009〉
」という本を眺めていたら、私の思っていたことと実情とが違うことがわかり、ちょっとびっくりしたことがありました。
というのは、私はそれまで、日本からブラジルに渡って一番発展している宗教は、「生長の家」で、世界救世教は二番手だと思っていたのです。
実際に、ブラジルでの公称信者数は、ブラジル生長の家が101万人、ブラジル世界救世教が40万人ということでした。
ところが、「
宗教と現代がわかる本〈2009〉
」には、
2000年に行われたブラジルの国勢調査では、「東洋の新宗教」を信仰すると答えたのは15万人。その内訳として、「世界救世教」が10万人で、それ以外をその他の新宗教で分け合う
ということが書かれているのです。
その後、ネットで得た情報で、次のような内訳であることがわかりました。
■ 2000年の国勢調査の結果
(私の宗教は○○です。と、国のアンケートに答えた人数)
世界救世教
109,311人
生長の家
27,784人
PL教団
5,465人
天理教
3,786人
真光
3,054人
ハレ・クリシュナ(インド系)
1,679人
その他
----人
東洋の新宗教 合計
約15万人
国勢調査
http://www.ibge.gov.br/home/estatistica/populacao/censo2000/populacao/religiao_Censo2000.pdf内訳のネタ元
http://www.melma.com/backnumber_70890_162039/これは、「ブラジルでは、一番が生長の家、二番が世界救世教」と思っていた私にとって、意外な結果でした。
この2000年の国勢調査の結果から、次のことがわかります。
・公称信者数30万人(2000年当時)のブラジル世界救世教は、カトリック大国のブラジルにおいて、「私は世界救世教の信者です」という人を、10万人つくりだした。(ちなみに、1990年の国勢調査では8万人だったので、10年で2万人増えている。)
・ブラジル生長の家の公称信者数101万人の大部分は、「私は生長の家の信者です」とは思っていないまま、活動に参加している。(これは、国勢調査の世界救世教10万人以外の中に、「私は世界救世教の信者」とは思っていないまま立派に活動している人も多く存在しうることを示唆する。)
これは、ブラジル生長の家対ブラジル世界救世教の勝負は、「公称信者数」では負けたけど「国勢調査」では勝った、みたいな勝ち負けの話をしているのではありません。
実際には、現地の日本人は、やはり「ブラジルで成功した日本の宗教は、生長の家と世界救世教」と答えるのですから、生長の家の現地での活動は、公称信者数どおり世界救世教以上に活発なはずです。
万教帰一が根本方針の生長の家は、何人が信者になったかということなどどちらでもよく、信奉者も大部分の人がカトリックのまま生長の家の活動に参加しているのでしょう。
教えを広める、という意味では、教えを乞う人が必ずしもその宗教に「入信」する必要はなく、生長の家はそういう方針で活動をし、大きな結果を得ているのでしょう。
また、こういうアプローチのほうが、宗教くさくなく、新しく新鮮で、そしてより受け入れられやすい現代的なアプローチであると思います。この「公称信者数」と「国勢調査」の大きな差異は、ブラジル生長の家が他宗教の人をおおらかに受け入れ、教えを求めるものが宗派にこだわらず参加してくるという、スマートな先進性、あかぬけた現代性を物語っているものだと思います。
しかし、いかにも宗教的な「布教」という、ちょっとレトロな概念でこの状況をみるとき、「私の宗教は世界救世教です」、というブラジル人(ブラジル世界救世教の信者の大部分は、日系ではなく純粋なブラジル人なのだそうです)を、カトリック大国のブラジルで10万人作り、国勢調査にも「世界救世教」というカテゴリが作られている、というのは、そしてそこまで深くブラジルの文化に浸透しているというのは、客観的にも、これはこれでなかなかの活躍ではないかと思うんです。
(注:世界救世教は、改宗なき浄霊、改宗なきおひかり拝受ということを言っていることからもわかるように、決して改宗をすすめる活動をしているのではありません。それでも、「私は世界救世教の信者です」というブラジル人が10万人いるということが、その活動の充実度がうかがえ、たいしたものだと思います。)
そういえば私は、「日本で生まれて日本人以外の信者を最も多く作った宗教団体は世界救世教である」、と言っている外国の学者がいる、という話をある人から聞いたことがあります。いまではこの学者がだれで、どの論文、著書で述べているのかが不明なので、私も噂レベルの話としてしか扱っていないのですが、このブラジルの状況、そして、仏教国として有名なタイの66万人・・・と、いま
公式ページを見ると、70万人に書き変わっていますね。タイ国70万人というのをみると(しかもタイは、9割ほどが活動信者だとのことです。)、その説もまんざらはずれでもないと思うのです。
日本人は誰も知らないけど、いやーー。実はひそかにちょっとすごい宗教だったんですね。世界救世教って。
はじめての方は、熱海たび日記 1からお読みください
翌日、また「湯〜遊〜バス」にのり、急きょ行くことに決定した、「
アカオ ハーブ&ローズガーデン」に行きました。ここは20万坪もの敷地の中、イギリス風庭園や日本風庭園などのさまざまな庭園と、そこに咲き乱れるバラを中心とした膨大な数の花を楽しめる花園です。
昨日、蝶に誘われて急きょ行くことにしたこの場所ですが、行ってみると、そこは驚くほど素晴らしい場所でした。
まず、熱海、錦ヶ浦の海洋をバックに、あふれんばかりの数の花が咲き乱れる庭園は、表現ができないほど美しい。私が行った時期は、まだバラの季節には早く、この庭園のウリであるバラの花はあまり咲いていなかったのですが、それにしても膨大な花々が咲き乱れており、また、この庭園は、実に細かいところまで気配りが行き届き、整備され、心が込められていました。
また、敷地の中にはあちこちにカフェや売店や休憩所があったりしたのですが、そこのスタッフさんは、当然、ホテルニューアカオの従業員さんだと思うので、とても気持ちよく、見事な対応をしておられ、それも素晴らしかった点です。野外の施設で高品質なサービスが得られるって、とてもぜいたくな感じがしますよね。
素晴らしい景色、細かいところまで気が配られ、作りこまれた庭園、たくさんの花々、丁寧で高品質なサービスのスタッフさん、ついでに、とてもおいしいバラのアイスクリーム。
ここも、この世の天国のような場所だと思いました。
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| 日本庭園 |
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| 錦ヶ浦方面 |
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| 高低差も空間演出に一役買っている |
以前、瑞雲郷にご奉仕に行き、奉仕課の職員の方と話をした時、瑞雲郷も、一年中、常に花が咲きみだれる、そんな場所にしたいという話を聞いたのですが、まさにこのような場所になってほしい、と感じました。
次に、いつものとおりMOA美術館に向かいました。ちなみに今回私は観光で来ていますので、MOA美術館に入りましたが、救世会館はスルーいたしました。
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| MOA美術館 |
今回、さまざまな角度から熱海の風景を眺め、いろいろな場所に行ったわけですが、それと、熱海瑞雲郷、そしてMOA美術館の場所を比較して思ったのは、この場所はやはり他の場所と違って、そこにただよう凛とした気配、他よりも一段霊的に高い場所、上品さ、完成度の高さ、そういったものがあるんだと感じました。
一段高い、とは言っても、神社仏閣のように、世間から隔離されて作られ、そうすることで清浄さを保たれた聖域ということではなく、熱海という人間の生活圏の中にあり、人間味をそこに有し、近隣の生活感を受け入れながらも、それでいて俗に押し負けるのではなく、内から自然に染み出てくる、霊的、芸術的な高さ、人間性の中に垣間見える神性のようなものを醸し出し、聖と俗とを併せ持つ独特の空間において、訪れた者に他では味わえない一段高い安らぎを提供する場所。そんなものを感じることができました。
やはりここは一味違うようです。
MOA美術館の後は、伊豆山神社に行き、参詣をして、私の熱海の旅を終えました。
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| 長い石段 |
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| 境内 |
今回、熱海の旅行で思ったことですが、実は私は、それまで観光地としての熱海というのは大したことがない場所なのだと思っていました。これといった歴史があるわけでもなく、品性も少なく、工夫もなく、地の利だけで商売をしている、ただそれだけの中身のない場所だと思っていたのです。
しかし、実際に観光として熱海に行ってみたとき、そんな私の予想とは全く違う一面を見ることができました。
私は、今回熱海で、本当にいろいろなものを見ました。
熱海秘宝館といったおばかな博物館も、MOA美術館のような最高品質の美術館も、熱海城のような俗的な観光ポイントも、「アカオ ハーブ&ローズガーデン」のような高品質な観光ポイントも、世界救世教救世会館のような新しい活気にあふれる神殿も、伊豆山神社や来宮神社のような穏やかで霊気あふれる神社も、日本有数の湧出量を誇る温泉も、東洋のナポリと言われる絶景も、かつてのバブリーな時代の痕跡も、その後の貧しい時代の爪跡も。
とにかく熱海には、ありとあらゆるさまざまなタイプ、レベルのものがありました。それは観光名所という人造物でもあり、絶景や温泉などの神造物でもあり、それらが組み合わさってできた神と人との共作物でもあったりします。つまり熱海という街は、神と人間が一致協力して、あの手この手でいかなるタイプの人をも、訪れた人すべてを喜ばせよう、楽しませようとしてきた、そんな場所であるように私には思えました。
すべてを取り入れて、さまざまなものを用意し、訪れるあらゆる人を楽しませようとする場所。まさに「水の聖地 瑞雲郷」があるにふさわしい所。そんな風に思います。
私は、今回の旅行で、すっかり、観光地としての熱海を見直しました。これからはおおいに、このとても人間らしい観光地、熱海を応援していきたいと思います。
はじめての方は、熱海たび日記 1からお読みください
さて、変態エロ野郎・・・じゃなくて岡イン筆者は、熱海秘宝館を後にし、熱海城のバス停から、また「湯〜遊〜バス」に乗り込み、次に向かったのは来宮神社(きのみやじんじゃ)です。しかし、その途中、「アカオハーブ&ローズガーデン」というバス停で、停車中、ふと外を見ると、窓の外を「クロアゲハ蝶」がひらひらと飛んでいました。
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| たしかこんな黒い蝶だったからたぶんクロアゲハだと思う |
なんとなくその蝶に呼ばれた気がしたので、今回、行く予定ではなかったのですが、明日になったら、「アカオ ハーブ&ローズガーデン」にきてみよう、という気になりました。
そして来宮神社に着きました。この神社は、来歴がとても古い神社であり、しかも、日本で2番目、本州で1番古い楠が境内にあるのです。どれぐらい古いのかというと、樹齢2000年以上だというのです。つまり、キリストよりも年上の楠ということです。
来宮神社は、とても小さくて古めかしく、あまり修繕の入っていない神社なのですが、参詣するととてもすがすがしく感じました。また、楠は貫録高く見事な存在感を示していました。
私は、この旅行を計画するまで、熱海にはたいして歴史的なものはないと思っていました。しかし人間の歴史ではありませんが、この楠のような古い歴史を持った素晴らしいものが、あの行きなれた熱海の地にあったことは、とても意外でした。
「湯〜遊〜バス」で熱海駅に戻り、私が次に徒歩で向かったのは、サンビーチでした。いつもMOA美術館の窓から港の様子を見降ろして、いつかあそこに行ってみたい、と思っていた場所です。
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| こちらは、サンビーチから救世会館のほうを撮った写真 |
「湯〜遊〜バス」のガイドさんの話によると、サンビーチは別の場所から砂を船で運んできて作った人工海岸で、その際4億円もの費用がかかったのだそうです。
お城は建てる、海岸は作り出す。かつて熱海がいかに観光地として大躍進していたかがうかがい知れます。
サンビーチには、「金色夜叉」寛一お宮のブロンズ像があります。金色夜叉では「ダイヤモンドに目がくらみ」って寛一はお宮をけっとばして怒るわけですが、こんなバブリーな観光地で、こんなバブリーな海岸なんだから、そんな場所でバブリーな女性を叱りつけてもなあって気がします(年代の前後関係は無視)。
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| ダイヤモンドに目がくらみ |
ちなみに、金色夜叉の唄を聞きたい方は
こちらついでに、「
熱海のうた」というのも見つけました。内容はほとんど寛一お宮のことです。
しかし、素性はバブリーであっても、実際に行ってみたサンビーチは素晴らしい場所でした。というのは、砂が細かくて柔らかく、石などの邪魔なものは取り除かれており、防波堤のおかげで波は静かで、岩もあるのですが怪我しやすいごつごつした岩はなく、フジツボなどもはがされていて、子供がとても安全に楽しめるように、という優しさと心くばりにあふれた海岸だったのです。わずか400mの短い海岸だからこそ、人の手で安全が確保できるのでしょう。
5月初頭、まだ海水浴の季節ではありませんが、そんな優しさと穏やかさのあふれる浜辺で無邪気に遊ぶ子供たちや若い人たちをみると、ここは天国なんだなあ、と、単純に思ってしまいました。
ホテルに帰り、食事を済ましたら、また夜のサンビーチまで足を延ばしました。夜はライトアップされ、散策するのにもとても感じのよい場所でした。
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| これはパンフレット用の写真 |
それにしても熱海の夜は早いですねえ。5時になると多くのお店がしまってしまいます。
熱海たび日記 4に続く